先日、こんな本を見つけました。
「ファミコンクソゲー番付」(Amazon)
ファミコンのゲームをカテゴリーごとに分けて番付にして紹介している本です。
どうやらファミコン芸人のフジタさんがアドバイザーとして関わっているようですね。
ファミコンを今でもそれなりの人が楽しんでいるからこそこの手の本が出てくるのはわかるのですが、個人的には「クソゲー」という言葉を安易に使ってもらいたくはありません。
「クソゲー」という言葉は1980年代後半にみうらじゅんさんが作った言葉のようです。
みうらじゅんさんらしいキャッチーな言葉のセンスはいいと思いますが、この言葉が今でも一般化していて、意味が複数存在しているところに問題があります。
愛すべき「クソゲー」と言われれば、忌み嫌う表現ではないような気がしますが、それでも「クソ」の言葉が付いています。
人によっては、つまらなすぎて遊びたくないゲームに対して「クソゲー」と呼んでいる場合があります。
つまりは、「クソゲー」という言葉にどんな意味を持たせたところで「クソ」本来の意味が強すぎるため、人によってとらえる内容が変わってきてしまい、用語としてはあまり好ましくはないのです。
今ならばきっとみうらじゅんさんも「クソゲー」じゃなくて「ゆるゲー」と名付けたのではないかと思ってしまいます。
ゲーム好きな方ならば知っているであろう書籍「超クソゲー」シリーズで使用されている「クソゲー」は、個人的にはエキセントリックなゲームに対して使われていたように認識しています。
これはこれで「超ゆるゲー」になっても意味が通じそうなので、個人的にはいい方向性の「クソゲー」本だったと思っています。
……というか、昨年も1冊発売されていたんですね。
「超クソゲーVR」(Amazon)
以前、テレビ番組でファミコンのクソゲーを紹介してほしいという依頼があったとき、ボクは必ず「クソゲーという表現は嫌いなので、別の言葉を使わせてほしい」とお願いしていました。
そもそもテレビ番組が商品を紹介する際には権利元への確認をする必要があるわけですが、「御社のクソゲーを番組で使わせてください」とは言わないはずなので、当然ながら紹介するモノも「クソゲー」であってはいけないわけですよ。
そもそも、仲の良い友達であっても、相手の大事なモノのことを「クソ〇〇を貸してくれよ」とお願いするのは失礼ですよね?
その頃はおバカタレントブームだったこともあり、ボクは「おバカゲーム」という言葉を使ってゲームを紹介していました。
最初に紹介した「ファミコンクソゲー番付」に話を戻しますと、この本でも冒頭に「クソゲー」という言葉について説明をしてあり、「クソゲーの魅力に気が付いていただけたら幸いである」とある割には、実際のゲーム紹介ページの内容を見ると、ネガティブな意味の「クソゲー」が連発されてしまっています。
折角ゲームを紹介する本なのですから、おもしろいゲーム、もしくは、変なゲームを紹介してほしいんですけど、わざわざ紹介者がつまらないと思っているゲームを集めてつまらないことを紹介するのは何の意味があるのでしょうか?
そのゲームの面白いところを紹介すればいいのに、たわいのない要素をわざわざほじくり返して「クソゲー」要素にしてしまうのでしょうか?
「クソゲー」という言葉がキャッチーなだけに、今でも使われることが多いのですが、ゲームのことが本当に好きな人は「クソゲー」という言葉を安易に使う「クソゲー人(びと)」にはならないでくださいね。
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